剛柔流大修会同心舘の発足は同心工業株式会社の設立と同時に社員教育の一環として柔道、空手道、体道クラブ活動に取り入れる中、企業として日頃から地域の方々にはお世話になっている事に対し、何か貢献出来る事は無いかと 100畳の道場を開放し空手道を通して青少年育成にと開設しました。
紆余曲折を経て半世紀の歴史を刻み、数々の大会では優秀な成績を残し、また勉学においても進学校に進学する門弟もあり、正に文武両道、青少年の育成に微力ながら貢献できる事は誠に喜ばしいことであり、心から地域の皆様には感謝致す次第であります。
空手道は心技体一体の極致といわれ、世界的にも普及発展して参りました。身に寸鉄を帯びず、柔よく剛を制する空手道の意義が、多くの人達に理解され、今日の隆盛を見ましたことは、誠にご同慶に堪えません。
昨今、毎日のように青少年に対する社会問題は報道の絶えることはありません。どの様な環境に遭遇しようとも、空手を志す者は、格調高い伝統文化を探求する強固な意志と、礼と節の気構えを持ち、これから世界を担っていく青少年の育成に更なる努力をしていくべきだと思います。
最後に、同心舘一致団結し、異体同心となって更なる研鑽を重ね、会発展に専心されることを祈念し挨拶と致します。
日本空手道剛柔流大修会会長 同心舘 会長 髙山 智正
役 職 |
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大日蓮宗 妙法山 龍福寺 山主 |
同心工業株式会社 代表取締役会長 |
一社 全日本実業団空手道連盟 最高顧問 |
日本空手道剛柔流大修会 会長 |
泉大津市体育協会 常任名誉会長 |
泉大津市空手道連盟 名誉会長 |
泉大津市柔道連盟 常任名誉会長 |
資 格 |
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大日蓮宗 大僧都 |
全日本実業団空手道連盟 範士 十段 |
日本空手道剛柔流大修会 範士 十段 |
全日本体道連盟 範士 八段 |
経 歴 | |
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昭和4年5月3日 | 宮崎県宮崎郡清武町にて生を受ける |
昭和28年3月 | 立正大学・仏教学科卒業 |
昭和34年4月 | 同心会会長就任 |
昭和36年4月 | 泉大津市空手道連盟会長就任 |
昭和44年8月 | 日本空手道剛柔流大修会会長就任 |
昭和52年4月 | 西日本実業団空手道連盟副会長就任 |
昭和54年8月 | 全日本実業団空手道連盟理事長就任 |
昭和55年1月 | メキシコ州名誉州民「ドン」受賞 |
昭和55年10月 | 大阪府教育委員会体育功労賞受賞 |
昭和56年5月 | 全日本空手道連盟理事就任 |
昭和56年10月 | 敍 大日蓮宗大僧都 |
昭和58年4月 | 泉大津市体育協会会長就任 |
昭和59年1月 | 任 大日蓮宗教学部長 |
昭和60年4月 | 西日本実業団空手道連盟会長就任 |
昭和61年5月 | 更生保護事業法務大臣感謝状受賞 |
昭和62年10月 | 新大阪新聞社更生保護事業功労者「愛の善行賞」受賞 |
平成元年5月 | 全日本実業団空手道連盟副会長就任 |
平成5年4月 | 泉州国際市民マラソン沿道部会部会長就任 |
平成8年4月 | 西日本実業団空手道連盟常任名誉会長就任 |
平成8年8月 | 大阪府知事感謝状受賞 |
平成9年3月 | 全日本実業団副会長兼会長代行就任 |
平成10年9月 | 財団法人日本空手道連合会常任顧問就任 |
平成10年10月 | 大日蓮宗妙法山 龍福寺 山主 |
平成11年11月 | 泉大津市有功者表彰受賞 |
平成14年1月 | 日本空手道剛柔流大修会十段位授与 |
平成15年4月 | 財団法人大阪府体育連合副会長就任 |
平成16年6月 | 財団法人大阪府体育協会理事就任 |
平成20年9月 | 全日本実業団空手道連盟会長就任 |
平成21年11月 | 大阪府生涯現役スポーツ賞金賞受賞 |
平成23年2月 | 文部科学大臣表彰状受賞 |
平成23年2月 | 全日本実業団空手道連盟名誉会長就任 |
平成23年7月 | 日本体育協会 日本オリンピック委員会 創立100周年功労賞受賞 |
平成24年3月 | 泉北地区協力雇用主会顧問就任 |
平成24年5月 | 財団法人大阪府体育連合副会長就任 |
平成24年5月 | 泉大津市制施行70周年記念式典顕彰式において泉大津名誉市民の称号を授与 |
平成26年11月 | 文部科学大臣表彰状受賞 |
平成27年10月 | 芦屋大学客員教授就任 |